先日風邪をひいてしまい、内科にお世話になった。
最近慢性的に身体がだるいような気がしていたので、良い機会だと思い、ついでに血液検査もしてもらうことにした。
そして先週結果が出たのだが、尿酸値が高いというお話だった。
私はそこまで年がら年中ビールや酒を飲んでいる人間ではないので、原因としては肉や脂、レバーなどの過剰摂取(大好物である)、野菜や果物をほとんどとらないこと、などが考えられると言われた。要するに偏った食生活を改善するようにと言われたのだ。
社会においては圧倒的に若者ポジションであるが、もうこの有様である。好物を食べてしまうのはしかたがないにしても、やはり野菜をとらないのは問題である。いや、今回の検査結果が出る前から頭の片隅に問題意識はあったのだが、現実的に考えて改善不可能だったのである。スーパーが開く前に出勤し、閉まってから帰宅という生活だと、ほぼ必然的に某牛丼チェーンのお世話になってしまうのだ。(料理はかなり好きな方なのだが、食材を買う時間もなく、色々作っていると睡眠が取れなくなってしまうため、最近はあまり自炊できていなかった。)
しかし、本当にこれではまずいと思い、半ば強制的に食生活を改善することにした。あのワタミグループが運営している『ワタミタクショク』なる弁当配達サービスに申し込んだのだ。高齢者や食生活を改善したい人のために、バランスのとれた品数の多い弁当を提供してくれるサービスである。(というように私は理解している。大体あっているはずだ。)
私が注文したのは『まごころ御膳』というコースで、これは4〜5種類のおかずとご飯という内容の弁当である。そして、昨日一回目の弁当が届いた。
献立は
・豚肉のデミトマトソース
・大根と鶏肉の煮物
・きゅうりとしらすの酢の物
・キャベツのしそひじき和え
・ご飯
といった内容である。
結論から言うと、大変おいしゅうございました。一人暮らしでいくつも品数を作るのは難しいので、一食540円でこれが食べられるのは素晴らしいの一言である。頼めば保冷バッグで玄関に置いておいてくれるので、家にいない時でも受け取ることができる。
今後継続していくかはまだわからないが、とりあえず今週は毎日このクオリティの食事ができると思うと、自然と心が躍るのである。
やはり食事は大事である。その日のエネルギー源であることは当然であるが、おいしいものを食べることは精神にも良い影響を与えると思う。現代人の生活は多種多様であるが、昭和以前の日本の食生活、生活習慣、家族のあり方、社会の仕組みなど、もう一度ちゃんと見直してみてはどうだろう。何か大切なヒントが隠されているような気がするのだ。
2011年11月8日火曜日
2011年11月5日土曜日
”良質な”音楽
私は個人的に音楽に対して”良質な”という言い方をするのには反対であった。
いや、反対というか感覚的にあり得ない気がするのだ。ワインや木材なんかじゃあるまいし、音楽という絶対的な基準を持たない創造物に良質も何もないじゃないか、というとても曖昧な根拠に基づいたものである。良質云々と言っている評論家やミュージシャン達に対しては、あなたは一体何様だ!?くらいの気持ちがあった。
しかし最近その考えも見直さなければならないなと思い始めた。昔の名盤を聴くと、明らかに”良質”なのだ。
どのジャンルの曲が優れている云々という話では決してない。レコーディングが何度もやり直しがきくようになってしまってから、音楽の質は低下した。単純な話である。アレンジを練りに練って、リハーサルを重ねて、最後まで通して高いクオリティで演奏しきった録音と、細切れのパーツをただ張っただけのもの、前者の方がいいに決まっている。録音という行為は基本的には作業である。レコーディングの前にクリエイティブな部分は練り終わってすべて決めてあり、それを記録媒体に焼き付けるだけ。ギリギリ足りるか足りないかというレベルの素材を取り終わった後練ったところで、設計図のしっかりと作り込まれた音楽に比べるとどうしても細部の整合性等々が劣ってしまうように感じる。
人間が何かを成し遂げる際、ある程度の制約や負荷があった方が、飛躍できるのだと思う。デジタルレコーディング技術は便利だ。問題は、どうやってそれをアナログライクに使うか、であると私は思う。
いや、反対というか感覚的にあり得ない気がするのだ。ワインや木材なんかじゃあるまいし、音楽という絶対的な基準を持たない創造物に良質も何もないじゃないか、というとても曖昧な根拠に基づいたものである。良質云々と言っている評論家やミュージシャン達に対しては、あなたは一体何様だ!?くらいの気持ちがあった。
しかし最近その考えも見直さなければならないなと思い始めた。昔の名盤を聴くと、明らかに”良質”なのだ。
どのジャンルの曲が優れている云々という話では決してない。レコーディングが何度もやり直しがきくようになってしまってから、音楽の質は低下した。単純な話である。アレンジを練りに練って、リハーサルを重ねて、最後まで通して高いクオリティで演奏しきった録音と、細切れのパーツをただ張っただけのもの、前者の方がいいに決まっている。録音という行為は基本的には作業である。レコーディングの前にクリエイティブな部分は練り終わってすべて決めてあり、それを記録媒体に焼き付けるだけ。ギリギリ足りるか足りないかというレベルの素材を取り終わった後練ったところで、設計図のしっかりと作り込まれた音楽に比べるとどうしても細部の整合性等々が劣ってしまうように感じる。
人間が何かを成し遂げる際、ある程度の制約や負荷があった方が、飛躍できるのだと思う。デジタルレコーディング技術は便利だ。問題は、どうやってそれをアナログライクに使うか、であると私は思う。
2011年11月2日水曜日
オークション再び
夏にオークションを集中して行っていた期間があったが、その後しばらく忙しい日々が続き、出品できないでいた。先週久々に時間が取れたのでいくつか出品し、今日全ての商品の発送が終わった。
慣れてきたと思ったらあり得ないミスを犯したり(苦笑)と、中々波乱に富んだ今回のオークションであったが、確実にノウハウを蓄積することができた。今年中はもう少し色々試して、来年からは徐々に規模を大きくしていこうか、などと考えている。
備忘録的な話になるが、はこBOONというヤマト運輸と伊藤忠商事がやっている宅配サービスをよく利用しているが、その箱のサイズに関して、今日は収穫があった。大きさの上限はあるのだが、下限というかどの程度小さくても大丈夫なのか?というのが最近の疑問であったのだが、要するに伝票が貼れればよい、ということであった(箱の角で折って二面にまたがっても)。
話は変わるが、最近まさに何でも屋家業が盛況で、音楽関係を中心に色々な話が回ってくる。某楽器店とのジョイントイベントでも割と動き回っていて、今培っている人脈等々がきっと将来への糧となるのだと信じて走り回る日々である。あまり一つ一つの仕事の意味を考えず、かといってやみくもにやるのではなく将来設計をきちんとして、少しずつ消化していきたい。
精進あるのみである。
慣れてきたと思ったらあり得ないミスを犯したり(苦笑)と、中々波乱に富んだ今回のオークションであったが、確実にノウハウを蓄積することができた。今年中はもう少し色々試して、来年からは徐々に規模を大きくしていこうか、などと考えている。
備忘録的な話になるが、はこBOONというヤマト運輸と伊藤忠商事がやっている宅配サービスをよく利用しているが、その箱のサイズに関して、今日は収穫があった。大きさの上限はあるのだが、下限というかどの程度小さくても大丈夫なのか?というのが最近の疑問であったのだが、要するに伝票が貼れればよい、ということであった(箱の角で折って二面にまたがっても)。
話は変わるが、最近まさに何でも屋家業が盛況で、音楽関係を中心に色々な話が回ってくる。某楽器店とのジョイントイベントでも割と動き回っていて、今培っている人脈等々がきっと将来への糧となるのだと信じて走り回る日々である。あまり一つ一つの仕事の意味を考えず、かといってやみくもにやるのではなく将来設計をきちんとして、少しずつ消化していきたい。
精進あるのみである。
2011年10月18日火曜日
継続は力なり。だけど、、、
やはり継続は力なり、というのは本当だと思う。それほど続けることは難しい。
このブログもまめに更新できていた時期と比べ、今はかなりまばらになってしまった。書くことが無いわけではないとしても、やはり書いて投稿するにあたっていくつかの壁があるのだ。
1.ある程度のまとまった内容、ネタ
2.それを文章としておかしくない程度にまとめる時間、冷静な頭
大体こんな感じである。忙しいと2が特に難しくなる。細切れの時間があっても、冷静な頭でないということがわかっているので、あまり気が進まないのだ。
しかし、更新が滞ることが胸の奥につっかえて、気が重くなっていくという時限爆弾を抱えるのもあまりよくない。
これからは推敲はほどほどにして、twitterの延長程度のつもりで書こう。
このブログもまめに更新できていた時期と比べ、今はかなりまばらになってしまった。書くことが無いわけではないとしても、やはり書いて投稿するにあたっていくつかの壁があるのだ。
1.ある程度のまとまった内容、ネタ
2.それを文章としておかしくない程度にまとめる時間、冷静な頭
大体こんな感じである。忙しいと2が特に難しくなる。細切れの時間があっても、冷静な頭でないということがわかっているので、あまり気が進まないのだ。
しかし、更新が滞ることが胸の奥につっかえて、気が重くなっていくという時限爆弾を抱えるのもあまりよくない。
これからは推敲はほどほどにして、twitterの延長程度のつもりで書こう。
2011年10月6日木曜日
Steve Jobsが亡くなってしまった
僕の人生はかなり不思議な部類で、ずっと会いたいと思っている人には会えることが多いのだ。
Steve Jobsもずっとずっと会いたかった人の一人だった。会うことが不可能になってしまい、とてつもない喪失感に襲われている。(なんと自意識過剰なやつだと思われるかも知れないが。)
僕はApple社の製品が大好きだし、もちろんその角度からの尊敬や憧れも多分にあった。しかし、もう少し別な角度から今日は書こうと思う。
人間を作ったのは神かどうかはわからないが、この宇宙というもの全体を捉えようとすると、言葉では言い表せない「何か」が存在しているような気がしてならない。宇宙が内包する膨大な記憶、データ、情報、それは目に見えないけれども存在に気づいた瞬間から存在するのだと思う。宇宙は巨大なデータベースだとも言えるのではないだろうか。膨大な量の情報(情報という言葉が言い表せているとは全く思わないが)が混沌としており、一つ一つの要素が少しずつそれ自身や周りに影響を及ぼしたり及ぼされたりして変化を遂げ、その変化自体は全体から見て決して有意だとは言えないまでも少しずつ近い物同士が干渉しより大きな波となってさらに遠くへ波及する、というようなイメージを漠然と僕は持っている。
その混沌としたものをそれぞれの形にすくい取ればそれは人になったりするのではないだろうか。個人の人格なんてその程度の意味しかないのである。皆もとは一つなのだ。
全体から見た人間や物一つ一つの存在はとてもちっぽけであり、エゴや欲望に突き動かされるととてつもなくミクロな視野で行動してしまいかねない危うい存在であるが、精神の安定なんかを求めてよりマクロな視点へ移動することを目指している。短い文章には決して書き表せないことはわかりきっているが、こういったことを考えている時間、ヒトと全体、「何か」が繋がっていることを確信するのである。
彼は帰ったのだ。誰もが皆そうなるように彼もまたそうなっただけなのだ。この世界に彼はいなくなったが、帰ることでむしろ距離は近く、一つになった気がする。
Steve Jobsもずっとずっと会いたかった人の一人だった。会うことが不可能になってしまい、とてつもない喪失感に襲われている。(なんと自意識過剰なやつだと思われるかも知れないが。)
僕はApple社の製品が大好きだし、もちろんその角度からの尊敬や憧れも多分にあった。しかし、もう少し別な角度から今日は書こうと思う。
人間を作ったのは神かどうかはわからないが、この宇宙というもの全体を捉えようとすると、言葉では言い表せない「何か」が存在しているような気がしてならない。宇宙が内包する膨大な記憶、データ、情報、それは目に見えないけれども存在に気づいた瞬間から存在するのだと思う。宇宙は巨大なデータベースだとも言えるのではないだろうか。膨大な量の情報(情報という言葉が言い表せているとは全く思わないが)が混沌としており、一つ一つの要素が少しずつそれ自身や周りに影響を及ぼしたり及ぼされたりして変化を遂げ、その変化自体は全体から見て決して有意だとは言えないまでも少しずつ近い物同士が干渉しより大きな波となってさらに遠くへ波及する、というようなイメージを漠然と僕は持っている。
その混沌としたものをそれぞれの形にすくい取ればそれは人になったりするのではないだろうか。個人の人格なんてその程度の意味しかないのである。皆もとは一つなのだ。
全体から見た人間や物一つ一つの存在はとてもちっぽけであり、エゴや欲望に突き動かされるととてつもなくミクロな視野で行動してしまいかねない危うい存在であるが、精神の安定なんかを求めてよりマクロな視点へ移動することを目指している。短い文章には決して書き表せないことはわかりきっているが、こういったことを考えている時間、ヒトと全体、「何か」が繋がっていることを確信するのである。
彼は帰ったのだ。誰もが皆そうなるように彼もまたそうなっただけなのだ。この世界に彼はいなくなったが、帰ることでむしろ距離は近く、一つになった気がする。
2011年10月2日日曜日
自分が何をしたいかということ
ここ連日忙しさに加えて、さまざまな葛藤が生じる特殊な仕事をした。
自分が本当に何を今すべきか。それが見えた。
とても苦しく大変だが、むしろそれがわかったことに感謝すべきである。
もう次の段階に進む時期なんだ。
自分が本当に何を今すべきか。それが見えた。
とても苦しく大変だが、むしろそれがわかったことに感謝すべきである。
もう次の段階に進む時期なんだ。
2011年9月23日金曜日
コンビニのつまみやおにぎり
近所にFとSがある。両者とも徒歩40秒ほどである。
この環境にいると自然とコンビニで食べ物を買うことが多くなるわけだが、不思議なことに私はFばかりに行ってSにはほとんど行かない。単純に好き嫌いと言ってしまえばそれまでだが、以前住んでいた家の近所にもFがあったため、Fに行くことが習慣になってしまったのだ。保守的なチキン人間の極みである。(ちなみに、文房具や簡単な工具を買う場合にのみSの方に足を運ぶ。それらに関してはSの方が品揃えが良いのだ。うちの近所に関しては。)
Fのヘビーユーザー(?)である私の好きな物を勝手に列挙してみる。
・Fチキ
・ぼんじり(おにぎり)
・豚タン下網焼き
ほかにもハラス(おにぎり)や鳥なんこつなど好きな物はあるが、上の三つは飛び抜けている。
まずはFチキであるが、これは巷でもかなり評価が高いようである。特に揚げたてのそれは、サクッとした外側の衣のすぐ下にゼラチン質な何か(皮ではないような気がする)があって、その下に柔らかな鶏肉があるわけだが、肉と衣の間を満たす肉汁がまたなんとも言えない。K○Cなどとはまた違ったおいしさである。このチキンは数あるコンビニのチキンの中でも群を抜いているように思う。ほどよくスパイシーな味付けと、ジューシーで甘みのある肉汁が見事に調和しているように思う。衣の厚さもほどよく、噛みしめるとほんのり甘みを感じる。元来フライドチキンなどというものはジャンキーなもので、不健康上等くらいの勢いで挑む物だと思っている。その大前提を踏まえた上で食べれば、少しくらいオイリーでも気にならない。価格も168円と良心的で、一つ食べると思いの外腹がふくれるのだ。若者の味方である。しかし、古くなって衣がぶよぶよになったFチキは頂けない。ジューシーな肉汁も抜けきってしまってまるで紙粘土のようになってしまう。時間帯ごとの来客数を把握して、数を調整できる店員さんがベテランである。Fチキを食べればその店の店員の質もわかってしまうのだ。
次にぼんじり(おにぎり)である。焼き鳥が好きな人は知っていると思うが、あのぼんじりである。ゼラチン質で脂の甘み、旨みと、ぷりっとした歯ごたえがたまらない。個人的には塩ではなくタレで頂くのが好きだ(かなり気を遣って焼いてあれば塩でも好きだ)。あのぼんじりをおにぎりの中に詰めるという発想をしたお母さんがいたらその家の子供になりたいが、開発したのはどうやらおじさん達のようである。「チーム おやじ」というF社の開発チームの方々が、おそらく試行錯誤の末生み出されたのだろう究極のおにぎり、「ぼんじり」。米粒の硬さ、量、タレのとろみ具合、全てはぼんじりを中心に組み立てられている。美味いコンビニのおにぎりは、「冷えていても美味い」ではなく、「冷えているから美味い」だと思う。おにぎりをほおばり、噛みしめていく。ぼんじりのぷりぷりした食感や、コシのある米粒を反芻していくと、煮凍り状だったタレがとけて口の中いっぱいに旨みが広がる。日常の中で「日本人で良かった」と感じる瞬間の一つである。
最後は豚タン下網焼きだ。これは確か298円と、つまみとしては標準的な価格だろうか。私は家に缶詰状態で作業をする時など、これとシルキーブラック(コーヒー)をまとめ買いしてしまう。プラスチックのトレーに入っていて、さらにビニールでパッキングされているのだが、フタを外して乾燥剤的な小さいパックを取り除き、フタを外したまま500Wのレンジで1分チンすると、唸ってしまうほどのおいしさである。ぷりっぷりの食感、ジューシーな肉汁、脂の甘み、香ばしい香り、これはもう究極のコンビニ食であると思う。
以上三つが私のコンビニ食における大好物である。こうしてみると、要は「ぷりっ」、「ジューシー」、「甘み」が私の好物に関するキーワードのようだ。コンビニの食品は不健康だとかカロリーがどうだという話をよく聞くが、確かにコンビニ食をメインにするのは良くないと思う。しかし、多忙を極めていて料理する時間が無いときや、夜中に、あるいは缶詰で仕事中にちょっと小腹が空いたときなど、手軽に食べられるコンビニの食べ物はとても有り難いものである。通常の食事と比べるものではない。コンビニ食にはコンビニ食の良さがあるのだ。
この環境にいると自然とコンビニで食べ物を買うことが多くなるわけだが、不思議なことに私はFばかりに行ってSにはほとんど行かない。単純に好き嫌いと言ってしまえばそれまでだが、以前住んでいた家の近所にもFがあったため、Fに行くことが習慣になってしまったのだ。保守的なチキン人間の極みである。(ちなみに、文房具や簡単な工具を買う場合にのみSの方に足を運ぶ。それらに関してはSの方が品揃えが良いのだ。うちの近所に関しては。)
Fのヘビーユーザー(?)である私の好きな物を勝手に列挙してみる。
・Fチキ
・ぼんじり(おにぎり)
・豚タン下網焼き
ほかにもハラス(おにぎり)や鳥なんこつなど好きな物はあるが、上の三つは飛び抜けている。
まずはFチキであるが、これは巷でもかなり評価が高いようである。特に揚げたてのそれは、サクッとした外側の衣のすぐ下にゼラチン質な何か(皮ではないような気がする)があって、その下に柔らかな鶏肉があるわけだが、肉と衣の間を満たす肉汁がまたなんとも言えない。K○Cなどとはまた違ったおいしさである。このチキンは数あるコンビニのチキンの中でも群を抜いているように思う。ほどよくスパイシーな味付けと、ジューシーで甘みのある肉汁が見事に調和しているように思う。衣の厚さもほどよく、噛みしめるとほんのり甘みを感じる。元来フライドチキンなどというものはジャンキーなもので、不健康上等くらいの勢いで挑む物だと思っている。その大前提を踏まえた上で食べれば、少しくらいオイリーでも気にならない。価格も168円と良心的で、一つ食べると思いの外腹がふくれるのだ。若者の味方である。しかし、古くなって衣がぶよぶよになったFチキは頂けない。ジューシーな肉汁も抜けきってしまってまるで紙粘土のようになってしまう。時間帯ごとの来客数を把握して、数を調整できる店員さんがベテランである。Fチキを食べればその店の店員の質もわかってしまうのだ。
次にぼんじり(おにぎり)である。焼き鳥が好きな人は知っていると思うが、あのぼんじりである。ゼラチン質で脂の甘み、旨みと、ぷりっとした歯ごたえがたまらない。個人的には塩ではなくタレで頂くのが好きだ(かなり気を遣って焼いてあれば塩でも好きだ)。あのぼんじりをおにぎりの中に詰めるという発想をしたお母さんがいたらその家の子供になりたいが、開発したのはどうやらおじさん達のようである。「チーム おやじ」というF社の開発チームの方々が、おそらく試行錯誤の末生み出されたのだろう究極のおにぎり、「ぼんじり」。米粒の硬さ、量、タレのとろみ具合、全てはぼんじりを中心に組み立てられている。美味いコンビニのおにぎりは、「冷えていても美味い」ではなく、「冷えているから美味い」だと思う。おにぎりをほおばり、噛みしめていく。ぼんじりのぷりぷりした食感や、コシのある米粒を反芻していくと、煮凍り状だったタレがとけて口の中いっぱいに旨みが広がる。日常の中で「日本人で良かった」と感じる瞬間の一つである。
最後は豚タン下網焼きだ。これは確か298円と、つまみとしては標準的な価格だろうか。私は家に缶詰状態で作業をする時など、これとシルキーブラック(コーヒー)をまとめ買いしてしまう。プラスチックのトレーに入っていて、さらにビニールでパッキングされているのだが、フタを外して乾燥剤的な小さいパックを取り除き、フタを外したまま500Wのレンジで1分チンすると、唸ってしまうほどのおいしさである。ぷりっぷりの食感、ジューシーな肉汁、脂の甘み、香ばしい香り、これはもう究極のコンビニ食であると思う。
以上三つが私のコンビニ食における大好物である。こうしてみると、要は「ぷりっ」、「ジューシー」、「甘み」が私の好物に関するキーワードのようだ。コンビニの食品は不健康だとかカロリーがどうだという話をよく聞くが、確かにコンビニ食をメインにするのは良くないと思う。しかし、多忙を極めていて料理する時間が無いときや、夜中に、あるいは缶詰で仕事中にちょっと小腹が空いたときなど、手軽に食べられるコンビニの食べ物はとても有り難いものである。通常の食事と比べるものではない。コンビニ食にはコンビニ食の良さがあるのだ。
登録:
投稿 (Atom)