2011年10月18日火曜日

継続は力なり。だけど、、、

やはり継続は力なり、というのは本当だと思う。それほど続けることは難しい。
このブログもまめに更新できていた時期と比べ、今はかなりまばらになってしまった。書くことが無いわけではないとしても、やはり書いて投稿するにあたっていくつかの壁があるのだ。
1.ある程度のまとまった内容、ネタ
2.それを文章としておかしくない程度にまとめる時間、冷静な頭

大体こんな感じである。忙しいと2が特に難しくなる。細切れの時間があっても、冷静な頭でないということがわかっているので、あまり気が進まないのだ。

しかし、更新が滞ることが胸の奥につっかえて、気が重くなっていくという時限爆弾を抱えるのもあまりよくない。
これからは推敲はほどほどにして、twitterの延長程度のつもりで書こう。

2011年10月6日木曜日

Steve Jobsが亡くなってしまった

僕の人生はかなり不思議な部類で、ずっと会いたいと思っている人には会えることが多いのだ。
Steve Jobsもずっとずっと会いたかった人の一人だった。会うことが不可能になってしまい、とてつもない喪失感に襲われている。(なんと自意識過剰なやつだと思われるかも知れないが。)
僕はApple社の製品が大好きだし、もちろんその角度からの尊敬や憧れも多分にあった。しかし、もう少し別な角度から今日は書こうと思う。
人間を作ったのは神かどうかはわからないが、この宇宙というもの全体を捉えようとすると、言葉では言い表せない「何か」が存在しているような気がしてならない。宇宙が内包する膨大な記憶、データ、情報、それは目に見えないけれども存在に気づいた瞬間から存在するのだと思う。宇宙は巨大なデータベースだとも言えるのではないだろうか。膨大な量の情報(情報という言葉が言い表せているとは全く思わないが)が混沌としており、一つ一つの要素が少しずつそれ自身や周りに影響を及ぼしたり及ぼされたりして変化を遂げ、その変化自体は全体から見て決して有意だとは言えないまでも少しずつ近い物同士が干渉しより大きな波となってさらに遠くへ波及する、というようなイメージを漠然と僕は持っている。
その混沌としたものをそれぞれの形にすくい取ればそれは人になったりするのではないだろうか。個人の人格なんてその程度の意味しかないのである。皆もとは一つなのだ。
全体から見た人間や物一つ一つの存在はとてもちっぽけであり、エゴや欲望に突き動かされるととてつもなくミクロな視野で行動してしまいかねない危うい存在であるが、精神の安定なんかを求めてよりマクロな視点へ移動することを目指している。短い文章には決して書き表せないことはわかりきっているが、こういったことを考えている時間、ヒトと全体、「何か」が繋がっていることを確信するのである。
彼は帰ったのだ。誰もが皆そうなるように彼もまたそうなっただけなのだ。この世界に彼はいなくなったが、帰ることでむしろ距離は近く、一つになった気がする。

2011年10月2日日曜日

自分が何をしたいかということ

ここ連日忙しさに加えて、さまざまな葛藤が生じる特殊な仕事をした。
自分が本当に何を今すべきか。それが見えた。
とても苦しく大変だが、むしろそれがわかったことに感謝すべきである。
もう次の段階に進む時期なんだ。