2011年11月5日土曜日

”良質な”音楽

私は個人的に音楽に対して”良質な”という言い方をするのには反対であった。
いや、反対というか感覚的にあり得ない気がするのだ。ワインや木材なんかじゃあるまいし、音楽という絶対的な基準を持たない創造物に良質も何もないじゃないか、というとても曖昧な根拠に基づいたものである。良質云々と言っている評論家やミュージシャン達に対しては、あなたは一体何様だ!?くらいの気持ちがあった。
しかし最近その考えも見直さなければならないなと思い始めた。昔の名盤を聴くと、明らかに”良質”なのだ。
どのジャンルの曲が優れている云々という話では決してない。レコーディングが何度もやり直しがきくようになってしまってから、音楽の質は低下した。単純な話である。アレンジを練りに練って、リハーサルを重ねて、最後まで通して高いクオリティで演奏しきった録音と、細切れのパーツをただ張っただけのもの、前者の方がいいに決まっている。録音という行為は基本的には作業である。レコーディングの前にクリエイティブな部分は練り終わってすべて決めてあり、それを記録媒体に焼き付けるだけ。ギリギリ足りるか足りないかというレベルの素材を取り終わった後練ったところで、設計図のしっかりと作り込まれた音楽に比べるとどうしても細部の整合性等々が劣ってしまうように感じる。
人間が何かを成し遂げる際、ある程度の制約や負荷があった方が、飛躍できるのだと思う。デジタルレコーディング技術は便利だ。問題は、どうやってそれをアナログライクに使うか、であると私は思う。

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